若狭から山陰地方で作られるさばの糠漬け。
地域の方言で、へしこむ(漬け込む)という語源から、「へしこ」と呼ばれるようになったと言われています。
イワシがたくさん水揚げされていた頃は、へしこといえばイワシでしたが、最近はサバが主流です。
伊根町では、昔は各家庭で漬けていましたが、現在はほとんどが漁協で漬けられたものとなっています。
伊根町の冬の味覚の代名詞。一説によると、伊根町はぶりしゃぶの発祥地とされています。
脂がのった寒ぶりを沸騰した出汁にさっとくぐらせて食べるしゃぶしゃぶは、ほどよく脂が落ち、いくらでも食べられる絶品です。
京都丹波高原国定公園から若狭湾へと流れ込む清流「由良川」は、天然鮎が遡上する100名川にも数えられています。由良川流域の岩場は鮎の餌となる珪藻類が豊富で、特に綾部市山家地区の荒々しい渓谷まで遡ると香りが高くなると言われ、陶芸家であり料理道を極めた北大路魯山人が “最もおいしい”と称賛し、好んで食したとされるほどです。
絶品の鮎会席料理を楽しめるのが、綾部市内の飲食店。明治中期以降にグンゼ、新宗教「大本」が相次いで発祥して多くの人でにぎわった綾部市には、移動手段が乏しかった当時の名残として、泊まれる料亭である料理旅館が数多く点在しています。
四季折々の食材を用いた京風料理を得意とし、歴史、店の佇まい、しつらえの豪華さ、風情、女将のおもてなし等が複合的に楽しめます。
京都府のブランドとり貝。
漁業者が、内湾でアンスラサイトという砂状の粒(石炭の一種)が入ったコンテナに入れ、約一年かけて丁寧に育成します。
平成20年に公益社団法人京のふるさと産品協会が認証する「京のブランド産品」に水産物で初めて認証されました。
日本三文殊の一つ「智恩寺」の山門前に並ぶ茶屋で食べられるお餅で、1690年にお寺の許可を得て店を構えたといわれています。
鎌倉時代、天橋立に住むお婆さんが、夢の中で、文殊菩薩から餅をついて人々に振舞うように言われ人々に振舞っていたところ、京都の大徳寺の偉いお坊さんが来られ、お餅を食べていた賢い子供をみて、それはお智恵を授かる文殊菩薩様のお陰だという事で、「智恵の餅」と名付けられました。
サバのおぼろが特徴の「丹後ばらずし」は、まつぶたと呼ばれる浅い木箱にすし飯を敷き、その上に甘辛く煮付けたサバのおぼろ、錦糸玉子、紅しょうが、かまぼこ、椎茸などを彩りよく散らし、切り分けて食べるのが丹後独特のスタイルです。
丹後地方全域で一定の共通点はあるものの、その形状や味、具材は様々で、四角形や円形、すし飯におぼろを挟んだ2段タイプもあれば、1段タイプも。使われる具材も店舗や家庭によって個性があります。
丹後地方では祭の日に作られるご馳走でしたが、お正月やお盆、誕生日、親戚や友だちが集まる日などにも作られるようになり、丹後人にとっては、ハレの日の思い出とともに心に根付いた故郷の味となっています。
戦前には焼きサバを用いて作られ保存食の役割も担っていましたが、戦後まもなくサバの缶詰が使われるようになりました。あまりにも多くのサバ缶を使うからか、特大サイズのサバ缶が売られているのは丹後地方だけ。
間人漁港から漁場までが約2・3時間と近いため、日帰り操業が可能。バツグンの鮮度で漁港に揚げることができ、品質・味ともに最高級と言われています。
明治34年(1901)年に海軍舞鶴鎮守府初代司令長官として赴任していた東郷平八郎(当時中将)が青年期に英国へ留学していた際に食べたビーフシチューの味が忘れられず、部下に命じて艦上食として作らせたのが、肉じゃがの始まりといわれています。
栄養バランスにも優れていることから、そのころ流行していた水兵さんの脚気を防止するために広まったのでしょう。
しかし、当時の日本では英国の様なワインやバター等の調味料が手に入りにくかったため、しょうゆ・砂糖で味付けをして作りました。その結果、現在のような肉じゃが(甘煮)が誕生したといわれています。その伝統ある作り方は「海軍厨業管理教科書」として舞鶴にある海上自衛隊第四術科学校に残っています。
大和朝廷時代、屯倉(みやけ)の耕作に従事した農民のことを『田部(たべ)』と言い、そこで作られた赤米は今日の稲作の起源です。
わずか神事用としてのみ細々と伝承されてきた『幻の赤米』が与謝野町三河内『田餅曾(たべそ)』の地に丹後古代赤米として甦り、今日ふたたび神事やお祝いの席に用いられています。
その赤米の持ち味を生かした麺が誕生し、その収穫されている地名を生かした『たべそ』と命名されました。
ゴムやきそばは、福知山市東中ノの飲食店「神戸焼」の店主・故永井孝三郎さんが戦時中に中国・広東で食べた麺が忘れられず、戦後に市内の「はぜせいめん」と「広東麺」を再現したのが始まり。製麺の過程で麺を2度蒸すことで、ゴムのような色と歯応えが出るのが特徴です。
神戸焼の焼きそばは豚バラを炒め、広東麺を焼き、野菜はモヤシのみ。店のメニューでは「焼きそば」として提供していましたが、いつしか、常連客から「ゴム焼きそば」と呼ばれるようになりました。
神戸焼を発祥に、広東麺を扱う店は1980年代ごろまで約15店ありましたが、現在は10店ほど。
平成24年9月末に「福知山B級グルメ・ゴム焼きそば推進協議会」が発足され、神戸焼を含む4店が認証店として参加しています。