地元の方々は、日頃食べているこのラーメンが珍しいということに気付いていません。さらにお店もこのラーメンが当たり前だと思っています。
頑なと言えるほどこだわりがあるわけではないが自然に身に付いた料理人の頑固さ。格別に華やかなもの新しいものを好むわけではないが、良いものはとことん愛し続ける人々。そしてそんな人々を支え続け、見つめ続けた雄大な山々や澄んだ海、自然豊かな土地。
牛骨ラーメンには、懐かしい日本の姿が今も残る鳥取県の姿とどこか重なるところがあります。
一般的にちくわと言えば魚肉が普通ですが、とうふちくわは全国でも鳥取県中東部だけに見られる独特の加工食品で、木綿豆腐と白身魚のすり身をほぼ7対3の割合で混ぜて蒸し上げたものです。
味は非常に繊細で、噛みしめるとふんわり豆腐の香り。質素倹約を目指した結果、グルメにまで到達してしまった感があります。豆腐はもちろん、魚もヘルシーフード。最近流行のメタボリックシンドロームに悩む人にもピッタリな一品と言えるかもしれません。
大きな油揚げの中に生のお米・野菜を詰めて、だし汁でじっくり炊き上げた古くから伝わる郷土料理で、鳥取県西部・弓ヶ浜(ゆみがはま)半島を中心に親しまれています。
大きないなりずしのような外観ですが、調理法や味わいは全く違います。もともと郷土料理ですが、スーパーや居酒屋などで販売・メニュー化され、市民団体の働きかけにより販売店舗・飲食店舗が拡がりつつあります。
かつては、漁師や農家の人々がお弁当に持って行ったと言われています。大きなお口でガブリと頬ばれば、ジュワ~ッと広がる甘味と旨味に思わずみんなが笑顔になります。
ジューシーでまろやかな口どけと豊かな香り。山陰のあご(トビウオ)が、新たなご当地グルメになりました。
地元鳥取県東伯郡琴浦町赤碕に揚がった「あご」を すり身にして、カツにしちゃいました!
トビウオのことを「あご」と呼ぶのは、山陰(鳥取県・島根県)と 九州(博多・長崎)だけのようです。
その「あご」を各店自慢のカレーにトッピング。現在琴浦町内10店舗で提供中です。
鳥取県東部で50年間愛されている牛ホルモン入りの焼きそばで「ホルソバ」と呼ぶ人が多いようです。
昭和30年代、鳥取市内に多くあった焼肉屋・ホルモン屋で、ホルモンと野菜を味噌ダレで炒めた中に「中華そば」を入れてみると、これが実に美味だったのが始まりだとか。
現在、鳥取市を中心とした食堂や焼肉店等で食べられます。
「ホルモン焼きそば」と一口にいっても、タレ・ホルモン・麺・その他の具材が各店で違い、その味や食べ方もいろいろです。
ホルモン焼きそばを提供する店は鳥取市内に約30店舗あり、それぞれ個性があります。
鳥取の雑煮には、普通は白の丸餅を入れるのですが、県中部の三朝(みささ)町では古くから白餅の代わりに「とち餅」を用います。
このような独自の食文化に着目して、この「とち餅雑煮」を地域で盛り上げようと「三朝とちもちぞうに縁JOY会」という団体が立ち上がり、PR活動をしています。
名を聞けば「具なしラーメン」、目の前に出た瞬間は「うどんの香り」。
昭和32年頃素ラーメンの発祥店「武蔵屋食堂」で誕生。当時、製麺屋が持参した細いちぢれ中華麺に合うスープを試行錯誤した結果、“うどん出汁”にたどり着いたというのが誕生のストーリーです。
もち米を鶏肉・ニンジン・ゴボウ・シイタケ・クリなどと一緒にだし汁でじっくり蒸して出来上がる「大山おこわ」は、“モチモチ”とした食感と、あっさりとした味が特徴。秋には山菜を入れるなど、季節の野菜で彩りを加えることで年中親しまれています。
かつて僧兵が戦場に赴く際、勝利を祈願して山鳥と山草を入れた米飯を炊きだしたのが始まりとされています。
その後、祭りや祝い事のごちそうとして受け継がれてきました。各家庭で味付けや材料が工夫され、“家庭の味”として受け継がれています。
生の親がに(鳥取県ではズワイガニの雌をこう呼ぶ。)をぶつ切りにして米の上にのせ、酒と醤油、みりんを入れて普通の水加減で炊きます。
炊きあがれば殻から身、外子や内子も取り出して熱々ご飯と混ぜます。これが驚くほど味が濃い...
※今は茹でた親がにを調味料で炊いたご飯と混ぜるのが主流です。
夜中からの作業となる「因幡の塩鯖」の加工場。作業の始まりは鯖の内臓を専用の包丁でそいでしっかりと水で洗うこと。井戸水を使う加工場もある。塩は一尾ずつ“手振り”。
「因幡の塩鯖」はとにかく艶やかで、かつ“ずっしり”。焼けば見事に身が膨れ、食通も「こんなにジューシーで肉厚な塩鯖はない!」と太鼓判を押すほど。